「だって、君は・・・」2018.12
「だって、
君はひとりで勝手に
何かをやってゆくことなんてできないだろう?」
ここのところ編集に取り組んでいる映画『えんとこ』の続編『えんとこの歌』で使われている、脳性マヒの友人、主人公・遠藤滋の詩の冒頭の一節だ。
ベッドの上で寝たきりの暮らしになってもう35年になる遠藤の詩は、障がいのある仲間、一人ひとりへのメッセージのようであり、介助の若者達への語りかけであるようにも受け取れる。
更に、学生時代の友人である私や同世代の仲間達への遠藤の連帯のアピールであるようにも思える。
大げさかもしれないけど、世界中の人々へ向けたラブレターみたいだ。
「君が今やりたいことを、まっすぐに人に伝えながら出来ないことは、みんなに手伝ってもらって堂々と生きてゆきなさい。
先回りして、人がどう思うだろうか、これはいけないことではないかとか、勝手にひとりで考えてやめてしまう必要なんかないんだよ。
自分から逃げていては何も始まらない。
そうして、自分が決めてやったことの結果を、
どんなことでもすべて自分で生かしていったら、
その時はきっと、いつの間にか、ますます、すばらしい君になっているだろう。
それは、人に迷惑になるどころか、逆に人と人とが直接、そのいのちを生かし合って生きる。
本当の人のあり方を、君に関わる全ての人に身を持って示して、それを実現してゆくことになるんだよ。
だって
君はひとりで勝手に
何かをやってゆくことなんてできないだろう?」
遠藤のこのメッセージの力強さは、
何より、ベッドの上でひとりでは何も出来ない日々を送って来た、自分自身に向けての切実なエールだからだろう・・・
詩も音楽も映画も、
全ての表現は、まず自分自身に向けて語りかけられるもののような気がする。
自問自答こそが表現のはじまり・・・
往々にして、自分を素通りして、他の人にわかってもらおうとし過ぎるものだ。
どこまでも自分に向けて、考えを深めること。
「自分の足で歩こうという思いを諦めない遠藤のように私は生きようとしているだろうか・・・」
新作『えんとこの歌』のチラシのリードに、私は書きとめた。
ベッドの上で生き続けて来た遠藤が、伊豆の海で歩く姿を眼の当たりにした時、「生きる」ということを、他人事ではなく、私自身が「生きる」という自分のこととして、思い返さないわけにいかなかったのだ。
青くさいことを言うと笑われるかもしれないが、そう思われてもかまわない。
無我夢中で映画を創りながら、オマエはどう「生きる」のかと、自分に問い続けて来たような気がする。
今だに、答えにたどり着かないけど。
自問自答で問い続ける思いがあるうちは、映画を創り続けるのだろう。他の人の力を借りながら。
「だって君は・・・」
「白い息」2018.11
木枯らしが吹き始めた。
約束通り駆け足で秋が過ぎ、どうやら冬です。
一張羅のコートを引っかけて、街を歩く。
白い息を吐き出しながら、あぁ生きてるんだまだ・・・なんて、ふと思いながら。
この数年、友人知人の訃報が届くことが多くなり、
「限りある命を生きる」という言葉が、頭をよぎる。
だからと言ってシャンとするわけではなく、相変らずダラダラと過ごしている日々なんだけど。
昨年は映画『妻の病−レビー小体型認知症−』の主人公であり、小児ガンの子供達の記録『風のかたち』を共に創った、小児科医の石本浩市さんが急逝された・・・ちょうど『風のかたち』の上映会の場に知らせが入り、映画製作の中心メンバーだった小児科医の細谷亮太さんと一緒で、突然のことに、その日のトークは二人ともメロメロだった。
その辛い別れから、もう二年近くの時間が流れた今もまだ、石本さんの不在を言葉にするのに戸惑い、ためらう気持ちに変わりはない。
今年は春に、我がいせ組の雪組、花組、星組のカメラマン、ハッチャンこと宮田八郎を失った。
私より年少の、山男。山のレスキューのプロ中のプロが、海で命を落としたのだ。
ハッチャンが行方不明になった前夜に伊豆の海で撮影していたのは、製作中の自作『えんとこの歌−寝たきり歌人・遠藤滋−』のイメージカット。ハッチャンは帰らず、夜空と海のカットだけが、遺された。
ベッドの上で寝たきりの日々を送っている主人公・遠藤滋に見せたい、と言って撮影した自然描写のひとつひとつを受け止めて、私は、そのハッチャンの想いを、どう生かすことが出来るだろう・・・
石本さんが亡くなられた後も、石本さん夫妻を描いた映画『妻の病』は各地で自主上映が続いている。
石本さんは今も映画の中で生き続け、観客は石本さん夫妻の夫婦愛に心動かされている。
ハッチャンが居なくなった今も、ワンカットワンカットが私にその想いを語りかけ、映画の完成に向けての歩みを、共に生きてくれている。
生きているということ、「命」のこと。
『えんとこの歌』の主人公、学生時代の友人遠藤滋は、もう35年間も寝たきりの日々を送りながら、その「命」を介護の若者達にさらし、「ありのままの命を生かし合う」という大切なことを、私達に語りかけてくれているように思う。
「『えんとこ』は、命のカマドなんですよ、きっと・・・」と友人の一人が言っていた。
とすると、それを見守る私も完成した映画を観る一人ひとりも、「命のカマド」番なのかもしれない。
「命のカマド」番は、火をジッと見守りながら、その火に守られて生きるのだ。
「イノチのカマド」番を生きること・・・
「ありのままの命」を生かし合うこと・・・
遠くへ逝ってしまった友人、知人達に想いを寄せながら、「命」に想いを深める冬のはじまり。
白い息を吐き出しながら・・・歩き続ける。
仲間達で続けて来た、ヒューマンドキュメンタリー映画館日比谷の30回目の特集企画は「ヒューマン」。
遠くへ旅立った二人、石本浩市さんと宮田八郎さんを偲ぶ上映会でもある。ぜひ逢いに来てほしい。
映画の「命」を見つめてほしい。
「ナマイキ」2018.10
長く暑い夏がやっと終わったと思ったら急に木枯しが吹き始めて、もうすぐ冬だ・・・
「貧乏暇無し」暮らしで、眼をつむって突っ走ってるような人生だからかなあ。
つい先日、歩きながら眠ってしまったみたいで転んでしまい、片目がチャンピオン戦に敗れた挑戦者のような面がまえになっちまった。
疲れかなあ・・・
つい最近までナマイキな若手と言われてたのに、気がつくと、もう前を走ってる奴がどんどん居なくなって、今はナマイキな年寄りなのだ。
年中無休の映像屋のおじさんは、「働き方改革」なんてクソ喰らえだ、と思っている。
気色悪い権力者が、猫なで声で「働き方改革」なんて世間受けするアドバルーンを上げるのに、同調するメディアのインテリ屋さん(頭のいい人たち)にもムカッ腹が立つ。今に始ったことではないが・・・
ナマイキな年寄りは、そんなこんなに思いを巡らせているうちにスッコロンデ、名誉の負傷だ。世の中に逆らうと痛い目にあうと言うことか・・・クソ!
「伊勢さんは、休みたいと思わないんですか?映画以外に趣味は無いんですか?」と問われ、「あまり休みたいと思わないなあ・・・」と答え、確かに無趣味かもしれないと思う。
でも、映画っていう奴は、隅からスミまで趣味だらけ、面白いことがたんと詰まっているからなあ・・・
映画を創っていると、腹は減るけど心のお腹は一杯になるんだ。これでメシがちゃんと喰えたら申し訳ない、と思うくらいだ。
十代の頃。本当にナマイキ盛りの時には「映画は一人前の奴のやる仕事じゃない・・・」なんて、親父への反抗心から口走ってたんだけど。
映画の仕事、と言っても私はドキュメンタリー一筋。ドキュメンタリーは日本の若い人達には「つまらない映画」という印象が強く、あまり人気が無いみたいなのかな?
面白いのにねえ・・・喰わず嫌いだと思うな。
今年は、台湾、韓国とアジアの映画祭に、自作『やさしくなあに〜奈緒ちゃんと家族の35年〜』が招かれて行って来たけど、日本に比べると圧倒的に若い人達の関心が強いのに驚かされた。若い人達が観たいと思えるようなドキュメンタリーを創り、観てもらえるような呼びかけをして行けば、きっと日本でも・・・
若い人達、子供達に、ドキュメンタリーを観て欲しいと心から思うのだ。
ドキュメンタリーが面白いのはナマでイキてる物語だから、ナマイキだから面白いんだと思う。
ずっとナマイキを行きて来た奴が言うんだからマチガイない。
ナマイキな奴が創った、ナマイキなドキュメンタリーを観に来て、若い人達や子供達に、う〜んとナマイキに成ってもらいたい。
自らを他人と比ぶることなかれ
同じいのちは他に一つなし (遠藤滋)
35年間、ベッドの上で寝たきり暮らしをしている脳性マヒの友人・遠藤滋はナマイキのチャンピオンのような、とっても魅力的な奴なんだ。
その遠藤と介助の若者達が暮らす日々を追うドキュメンタリー『えんとこの歌』を製作中だ。もう20年がかりになる。
今度こそ、若い人達に観てもらわなきゃ・・・な。
ナマイキが合言葉だぜ。
「爆発させなければ・・・」2018.9
韓国のDMZドキュメンタリー映画祭に『やさしくなあに〜奈緒ちゃんと家族の35年〜』が招かれ、行って来た。(海外版のタイトルは『Home, Sweet Home』)DMZとは、非武装地帯という意味で、南北朝鮮の国境近くの街で開催されている映画祭だ。
社会性の強いその映画祭に、何故『やさしくなあに』が招かれたのか不思議に思いつつ、グランプリを取ると100万円程の賞金がもらえるということを聞いて、行ってみようという気になった。
金に目が眩んだのだ・・・
一貫して、身近な人や物事を撮るヒューマンドキュメンタリーを創り続けているので、昔から、評論家や、映画青年達には、伊勢真一のドキュメンタリーは、「甘い」「メッセージが無い」「批判性に乏しい」「こんなことでは世の中は変わらない」などと言われ続けて来たように思う。
だから、社会性の強いコンクールや映画祭での賞とは、あまり縁が無いんだけどね。
マスジャーナリズムと一線を画して、自主製作・自主上映でドキュメンタリーを創って来た私の立ち位置で言えば、身近な足元をしっかり見つめることが、私にとっての「社会」であり、「世界」だ・・・
「特別」なこと以上に「普通」のことにこそ、私たちが描くべきものがある、と考えてきた。その被写体を批評的にと言うよりも、まずはしっかり見つめること、肯定感たっぷりに撮らえることが、ドキュメンタリーの第一歩なのでは無いか・・・と思い、作品創りに取り組んできたつもりだ。
そうした眼差しで創った映画を、自主上映という地道なスタイルで、観てもらうことにこだわっても来た。何より、普通の一人ひとりに届けたいと思って創り続けて来たからね。
『やさしくなあに』上映は、台湾、アメリカに続いて今回の韓国でも、とても好評だった。
表彰式での審査委員長の講評に我が『やさしくなあに』が取り上げられ、「ビューティフル!!」とお誉めの言葉を頂いたので、これは賞金をゲット出来るかも、と大いに期待したけど、結局グランプリを逃した。
残念・・・「審査員特別賞」だった。
けれども、表彰式が終わったあと何人かの方々から、「あなたの映画はとてもよかった」「私のベストだ」「泣きっぱなしだった・・・」という声を頂き、率直にとても嬉しかった。
そして、映画を観た方々からの上映のオファーが続いている。台湾、韓国での自主上映、アメリカからの映画祭招待等々・・・
国内以上に海外での反応がいいのは何故だろう?
外国の方々のほうが言葉を越えて、先入観無く映像に向き合えることから、他人事では無く、自分事として、『やさしくなあに』の世界を受け止めることが出来、生きることの意味のようなものを、それぞれが映画を観ながら深める時間を持てるからだろうか・・・
35年間撮り続けたことが大きかったように思います。35年間の真実が問いかける、
「やさしさって何?」
「家族って何?」
「生きるって何?」
という普遍的なテーマに、共感が寄せられているのでしょう。
国内での自主上映もジワジワと増えて来てます。
映画『やさしくなあに』はこれから日本中世界中で
爆発するかもしれない。
爆発するにちがいない。
爆発させなければ・・・よろしくお願いします。
「自主上映しませんか?」2018.8
いせフィルムは、「自主製作」「自主上映」でドキュメンタリー映画を創って来た。
「自主製作」と言うのは、創りたいと思う映画を自分で企画し、自力で製作すること・・・誰に頼まれてるわけでもないのに映画を創ってしまうこと。
そんな風にして、もう20本に及ぶ映画を創って来た。我ながら奇跡のようだ。
「自主製作で何本も映画を創れて、伊勢さんは資産家なんですか?それとも、金の成る樹があるのですか?」と真面目な顔をして聞かれることがある。
とんでもない。創りたいと思う気持ちに火がついたら遮二無二撮り始め、気がつくと映画のようなものが出来ている・・・という我が無手勝流映画創りに必要な製作資金は、多くの場合借金だ。
あてもなく借金しているわけでなく、出来上った映画を「自主上映」してもらい回収しよう、という考えがあってのことだ。
ところが、どの作品も「自主上映」の声がかかるわけではなく、映画によっては、ほとんど「自主上映」が広がらないものもある。(作品の良し悪しとは、必ずしも関係ない。)
・・・いせフィルムの言わば命綱である「自主上映」が思うように伸びないと、製作費が回収されず、借金が累積するということになる。
それで必死になって、「自主上映しませんか」と呼びかけるわけだ。二十年以上に渡って何度も何度も土俵際に追い詰められ、その度に押し戻して来たことの繰り返し。マギレもない一輪車操業の映画創りなのだ。
それにしても、ここまでよく頑張って来た。自分で自分を褒めてあげたい。何の苦労もなく映画を創っているように見えるとしたら、そう思われてた方がいい。映画の内容もノホホンとしてる作風だけど、ノホホンとしてる性格で、ノホホンとしてる人生なのだから、それでいい。
借金をたんと残し逝ってしまった映画人だった親父の二の舞は踏むまい、と思ってたんだけど・・・
「自主上映」の自主は、私達が自分で上映するという意味での自主ではなく、自主的にやってもらうという意味合いだから、言わば「他力本願」の自主なんだ。作品が気に入ったら手をあげてもらい、上映料をいせフィルムに支払って、それぞれの主催者が、それぞれの地域でオリジナリティーのある自主上映会を開催する・・・という流れだ。
けっこうエネルギーがいるけど、一度「自主上映」を経験すると二度、三度とやるようになる。「自主製作」同様に、それだけやりがいがあるということだろう。
夏の終わり、渋谷にある編集室で、各地の「自主上映」で書いて頂いた我が映画のアンケートを整理した。「自主上映」主催者が送ってくれたものだ。
『やさしくなあに』『妻の病』『ゆめのほとり』『えんとこ』『風のかたち』・・・ここのところ上映された作品それぞれに、熱いメッセージが書き込まれている。
私にとって、映画がラブレターのようなものだとすれば、ラブレターの返信のような想いにあふれた、観てくれた一人ひとりの言葉が、私を励ましてくれる。
多くの人が「創ってくれてありがとう」と、「もっと沢山の人に観せてあげたい」と言ってくれている。
秋になったらもう一度「自主上映しませんか」と声をあげてみよう。
もっともっと、ラブレターのやり取りをしたいから、土俵際からもう一度押し戻すのだ。
まだまだあきらめない。
「ハッチャン」2018.7
ちょうど桜の散る頃から、モーレツな追い込みで新作の編集作業に取り組んでいました。
「終わらない仕事はない。終わらないイノチがないように・・・」という先輩から教わった、粘り強く仕事をやり続けるための格言のようなセリフをいつものように呟きながら・・・
そして同じ桜が散る頃、友人がカヌーで海へ出て行方不明になってしまった。
友人の名は宮田八郎。ハッチャンと呼んでいた。
ハッチャンは我が「いせ映画」のカメラマンのひとり、穂高岳山荘の小屋番を三十年来続けて来た山男で、カメラマンとしても二十年程前から山の映画を撮り続けてきたプロフェッショナルだ。
大自然のフィールドを中心に作品を創り続け、ガンで他界した友人・渡辺哲也の紹介で、十年程前から山を降りている季節に我が映画創りに参加してくれていた、私にとって欠かせない仲間のひとりだ。
いつも真っ黒に日焼けした顔で、「いせ映画の星組・雪組・花組の宮田八郎です」と、まるで宝塚歌劇団のような自己紹介をしていた。
ハッチャンは、この冬から春にかけて、私の新作『えんとこの歌』(仮題)の撮影の応援に、飛騨から足しげく通ってくれていた。
脳性マヒで、35年間に渡り介助者の力をかりて寝たきり暮らしをしている学生時代の友人、『えんとこ』の主人公・遠藤滋の「ありのままのイノチを生かし合う」という生き方に強く惹かれて、今回は自然描写だけでなく、メインカメラマンの石倉隆二と共に遠藤の日常生活にもカメラを向けていた。
この頃は、上京した時は渋谷にある我が製作ルームに寝ブクロで転がり込み、そこを拠点に撮影に出たり、一杯呑んだりしている、「いせフィルム」の愛すべき居候だった。私はハッチャンと一杯やりながらドキュメンタリーを語り、人生を語るのが楽しみでもあった
・・・
4月2日、馴染みの居酒屋で、「明日からカヌーの合宿で行くから、遠藤さんに観てもらうつもりで、西伊豆の海の極上の星空を撮って来ますよ・・・待っていてくださいね。」と、ハッチャンは大きな目をクリクリさせながら大声で吠えていた。
4月4日、私との約束通り西伊豆・岩地の浜の星空を、朝までかけて独自の「コマ撮り」という手法で撮影し、5日の朝、カヌーで海へ出て、それっきり・・・
行方不明の状態のままで、ハッチャンが撮ってくれた雪や花と、西伊豆で海へ出る直前まで撮影してくれていた星空の映像だけが、編集室に届けられた。
新作『えんとこの歌』の編集に、ハッチャンが撮った雪や花や星が居場所を見つけることがやっと出来た頃御家族から一報が入った・・・
ハッチャンのような遺体が沼津沖で発見された、と。
行方不明は気持ちの置き所が無く、シンドイ、と思っていたけど・・・
ハッチャンにはずっと行方不明でいてほしい、と思うようになった。何処にいるんだ・・・ハッチャン・・・
俺はずっと待ってる。
行方不明のハッチャンを想い続け、ハッチャンが見ようとしていた世界を想い続けること・・・
生きることは、出逢うと言うよりも、出逢い直すことの繰り返しなのだと思う。
出逢い直しのドキュメンタリーを観に来てほしい。
祈再会。
「イノチのカマド」2018.6
紫陽花の季節、窓の外は雨。
ここのところずっと、東京の下街にある「牛小屋」と呼んでいる編集室に籠っている。
何故「牛小屋」かと言えば、私が牛年だからであり、ゆっくり反芻しながら編集する私の仕事ぶりがスローモーで、まるで牛の動きのようだからであり、そして、足の踏み場が無いような場所だからだ。
今回の反芻は、20年がかりの物語りだ。
35年がかりのドキュメンタリー『やさしくなあに〜奈緒ちゃんと家族の35年〜』を仕上げたあとに、20年がかりのドキュメンタリーのまとめに取り組んでいるような奴はどう考えても「牛」だよね。
いま時、「時間をかけてじっくり・・・」なんて流行らないかもしれないけど、とにかく自慢したいくらい仕事が遅い。時間をかけただけのことはあるね・・・
という作品に成ればよいのですが?
『えんとこ』という私の映画を御覧になった方はどの位いるだろうか?
1999年、20世紀の終わりに完成した映画だ。
脳性マヒで、寝たきり暮らしを強いられている学生時代の友人、遠藤滋と介護の若者達の日々を、三年間に渡って記録した、傑作ドキュメンタリーだ。
数年前から、その「えんとこ」(遠藤滋の居るところ、縁のあるところ)に再び通い始め、カメラを回して来た。「奈緒ちゃん」の35年間の記録、『やさしくなあに』の編集に手をかけ始めた頃、もう一度「えんとこ」の記録も撮影しなければ、と思ったのだ。
何故か、又遠藤に逢いたくなったから・・・というのが率直な気持ちだ。
2016年7月、2年前の夏に神奈川・相模原で起きた障がい者大量殺傷事件のことも、もう一度「えんとこ」を撮り継ごうと思った理由のひとつだ。
「役に立たない障がい者は居ない方がいい・・・」と考えた犯人を、異常者と決めつけ、事件を他人事のようにとらえ、コトの本質を考えることなく忘れてしまっているような状況に違和感を抱いているからだ。私達の社会がはらんでいる「優生思想」のような考え方にしっかりと目を向け、その傾向を押し戻さなければ、と「ノロマな牛」は、唸り声を上げたくなったのだ、
「モオ〜〜!!」っと。
35年間に及ぶ寝たきり暮らしを続けて来た遠藤は、10数年前から短歌を詠むようになった。
ここ数年、障がいが進行し、声を出すのが難しくなった彼にとって、短歌は思いの丈を伝えるただひとつのメッセージメディアだ。
「犯人をかくなさしめし原因を
資質のみには求むるなかれ」
障がい者大量殺傷事件のことを今も考え続けている遠藤の歌のひとつ・・・
新作の『えんとこ』は、ベッドの上での彼の闘いの日々が自作の短歌と友にドキュメントされている。
遠藤と私からのメッセージを受け止め、それぞれがそれぞれの場所で唸り声を上げてみてほしい。
友人のひとりが、自らがかかわる生きものたちを育てることを、「イノチのカマド」にひたすら薪をくべるような日々だ、とつぶやいていた。
「えんとこ」も又、「イノチのカマド」に違いない。介助者達は遠藤に薪をくべ、遠藤から薪をくべられているのだ。私が「えんとこ」を記録し続けることも、「イノチのカマド」に薪をくべることだと思いたい。
まだまだあきらめないぞ・・・
「あきらめない」2018.5
五月の初旬に台湾国際ドキュメンタリー映画祭に、
『やさしくなあに〜奈緒ちゃんと家族の35年〜』が招かれ、台北まで行って来た。
11回目をむかえるこの映画祭は、10日間に渡る熱気あふれるお祭りだった。
何より印象的だったのは、この国ではドキュメンタリー映画に若者達がとても強い関心を寄せていることだった・・・
客席の八割以上が、若い人達に埋めつくされており、我が日本のドキュメンタリー映画の八割方が、シルバー世代の観客層である現状を思い返さない訳には行かなかった。
『やさしくなあに』はこの若者達が生まれる前から撮り続けた35年間の記録だけれど、とても強い関心をしめしてくれ、上映後には次々にその若者達から鋭い質問が続いた。
台湾の映画祭での若者達の熱気をとても嬉しく思い同時に、何故日本では若者達のドキュメンタリーへの関心が薄いのか・・・と考えた。
自主上映を20年来手がけて来た私の経験で言うと、日本の若い層はドキュメンタリーに関心が無いわけではなく、観る機会が少ない、「喰わず嫌い」ならぬ「観ず嫌い」の人が多いのではないだろうか・・・
何となく「面白くない」「難しい」と思いこんでいるような気がする。そんなことないのに、観ればきっと好きになってくれると思うけど。
若者達が・・・と言うよりも、社会全体が性急に答えのようなものを求め過ぎていて、「わからない」ものに対して拒絶反応が強くなっているからなあ、自分で物事を考えることを嫌う傾向がとても強くなっていることもドキュメンタリー離れの背景にあるような気がする。
インターネットを使えばボタンひとつでわからないことを検索してくれて、テレビをつければコメンテーターやキャスターがワカッタ風なことを言う。
なるべく考えないで済むようなシステムの開発がどんどん進み、やがて人間は「考える葦」ではなくなっていくのだ。
考える、ということこそが生きていることの中身だと思うんだけどな・・・
何故、日本では若者達の多くがドキュメンタリー映画を観ようとしないのか・・・?
そのことをしたり顔で分析することではなく、さしあたって私がやるべきことは若い人達がドキュメンタリー映画を、私の映画を観に来てもらえるようにするためにどんなアプローチをすべきなのか、に違いない。
若者達におもねて、映画を創り、上映する、というのではなく、若者達に映画を観に来てもらえるように出来ることの一つひとつを考え、工夫してみようと思う。
知恵を貸してほしい・・・
「まだまだあきらめない。自分のやって来たことを次の時代に次の世代につなぐまでは・・・」と私に呟いた同世代の友人がいる。
脳性マヒが進行し、ベッドの上でもう35年も寝たきり生活を続けている学生時代の友人、「えんとこ」の遠藤滋だ。遠藤は介護の若者達の支えで今も「自立生活」に取り組んでいる。
実は、このところ20年程前に再会して撮った映画の舞台「えんとこ」に再び通い続け、ベッドの上で「
いのち」を問いかけ続けている遠藤に寄り添い、撮影している。
まだまだやり残してることがある・・・
私もまだまだあきらめない。
「あっという間」2018.4
「35年間の記録、映画『やさしくなあに』を撮り続けた時間は長かったですか?それとも短かかったですか?」と聞かれることがある。
私は、「あっという間でした」と答える。
本当にマバタキのような時間のような気がする。
それだけ夢中だった、ということか・・・
おそらく一生というのは、それが50年であれ、100年であれ、マバタキのような時間なのだろう
・・・誰にも、公平に。
2018年の春、マバタキのような時間のその又束の間のヒトトキをどのように過ごしたかと言えば、新作『やさしくなあに〜奈緒ちゃんと家族の35年〜』を一人でも多くの方々に観てもらうために、スタッフと共に四方八方にお願いをしてまわることに取り組んでいた。
「ぜひ自主上映をしてください・・・」と手紙を書き、電話をする。逢う人ごとに「上映してください」と頭を下げまくるのだ・・・
自主製作・自主上映で映画を創るカントクは、劇映画の大監督のようなわけには行かない。黙って腕組みしていたって映画は観てもらえないからね。映画を観てもらえなければ製作費が回収されないのだから、ソレマデだ。
もしも自分に自慢出来ることがあるとすれば、『奈緒ちゃん』を撮り始めてから35年、自主製作・自主上映で自分なりの映画を創り続けて来たことかな・・・誰も誉めちゃあくれないから自分で言うしかない。
四月の恒例「優れたドキュメンタリー映画を観る会」飯田光代さん主催の映画祭のような集りが今年、二十回目の開催で下高井戸シネマでの上映は終えることになった。
毎年、欠かさず私の映画を上映してくれていたこの集りで、最終回の今年は『やさしくなあに』と『ゆめのほとり —認知症グループホーム 福寿荘—』の二作品をやってくれた。
「場所を変えてまだまだドキュメンタリー映画を上映する」と宣言した飯田さんに「飯田さんが上映を続けるかぎり、俺は創り続ける」と宣言して返した。
四月の終わりには新横浜にあるラポールという施設の大会議室を借りて『やさしくなあに』の小さな上映会をやった。神奈川連続上映と銘打って1月・横浜市泉区、2月・川崎市、3月・大倉山と続けてきた『やさしくなあに』の上映が、4月には予定されていなかったので、私が自分で手を上げて上映を主催することにしたのだ。
人数は多くなくても、映画を観て、ゆっくり話をできるような上映をしたいという趣旨で企画し、映画が終ってからその場でお茶を呑みながら参加した一人ひとりが、それぞれの『やさしくなあに』を語り合う、とてもいい雰囲気の集りになった。
上映会がそのまま『やさしくなあに』と語りかけているようだった・・・
神奈川連続上映は少なくとも今年一杯は続けたいと思っている。神奈川にかかわらず、それぞれの場で連続上映を立ち上げてくれたら嬉しい。
マスメディアに頼り過ぎず、自分たちの足元のことを持続して考え続けることをしなければ・・・
ぜひ、手を上げてほしい。
あきらめずに、ねばり強くやり続けよう。
あっという間の一生だと思うけど
無我夢中に生き抜こうと思う。
「静かな勇気」2018.3
どんなことがあっても春は来る・・・必ず。
そおして桜が咲いて、散る。
『やさしくなあに』の上映会後、数人のお客さんとあれやこれや映画を巡って語り合ってたら、ひとりの方が「私は、この映画から静かな勇気のようなものを頂いた気がします・・・」と呟いた。
「静かな勇気」か、いい言葉だなあと受け止めながら「もともと勇気は静かなものかもしれないね」と応え、35年間撮り続けた奈緒ちゃんと家族の記録に「静かな勇気」を感じ取ってくれたことを、嬉しく思った。
♪勇気リンリン瑠璃の色・・・♪と月光仮面の主題歌に歌われたように「勇気」は輝かしいものとばかり思われているけど、本来「勇気」はとても静かで、誰にも気がつかれないように在るものかもしれない。
「人知れず微笑まん」という感じかな?
自己主張することだけを善しとして、誰もが「正しい」ことを言いつのっているように思える私たちの社会で、「勇気」は静かにジッと耳を澄ませている。
『シバ』という映画を撮っている時、撮影隊に決して近づこうとせず遠くからジッとこちらを見つめているシバ犬がいました。こちらが少しでも動くと、ピクッと反応する犬で、ずいぶん臆病な犬だなあと思っていたら、飼い主の照井光夫さん(柴犬保存会のリーダー)が「あの犬こそ縄文犬の気質を真っ当に引き継いでいる犬です。ああしてジッと気配をうかがい主人を守ろうとしているんですよ。」と教えてくれた。
一見、臆病に見えるあの犬こそ、勇気ある縄文シバなのだ・・・と。
「静かな勇気」は、ドキュメンタリーの創り手にとって最も大切にしたいキーワードのような気がする。
『やさしくなあに』はこの春から本格的な自主上映が始まる。そのきっかけになるような上映会が、広島市内から一時間程離れた山合いの小さな街、井原で行われ、姉(奈緒ちゃんのお母さん)を伴って行ってきた。
50人入ったら満員に成ってしまうような小さな公民館で二日間に渡って行われた上映の中心になってくれたのは、池岡正康さん夫妻。350世帯位の街で250人近い方々がサンダル履きで観に来てくれた。
みんな、よく笑いよく泣き、嬉しそうな顔をして映画に触れてくれた。自主上映はかくありたし、と言いたくなるような温もりのあるヒトトキだった。
上映の企画から、チケット販売から、当日の上映まで、池岡さん夫妻と数人の仲間たちとでやり切ってくれたのだ。あとで知ったことだが、奈緒ちゃんと同じ重いてんかんを持つ池岡さんの息子さん「こころくん」が上映一週間前に発作が原因で大けがをして病院に入院中だったのだと言う。
そんな中での上映会、大変だったに違いないのに・・・池岡さん夫妻は、私との上映の約束を健気に守り、
地域の人たち一人ひとりに『やさしくなあに』と語りかけるような上映会を実現してくれた・・・感謝。
ドキュメンタリー映画を創ることだけではなく自主上映に取り組み、映画を観てもらうこともキーワードは「静かな勇気」と言えるかもしれない。
全国各地で『やさしくなあに』自主上映に取り組んでくれる方々を募っています。
ちょっと大変なこともあるかもしれないけど、あるにちがいないけどやってみませんか?
「静かな勇気」というキーワードを私有し合う体験になるはずです。
きっと・・・
「春は名のみの・・・」2018.2
♪春は名のみの 風の寒さや
谷の鶯 歌は思えど
時にあらずと 声も立てず
時にあらずと 声も立てず♪♪♪
時にあらずと声も立てない、この季節は嫌いではない。黙って冷んやりした風に当たり「こんなことでいいのか・・・」と、しきりに自責の念にかられる浅い春。
こんな気分の時には、散らかった身辺を片付けると気が晴れるかもしれない。
東京・渋谷にある事務所を引っ越さねばならないことになり、たまりにたまった書類や本の整理を始めた。
ちょうど『やさしくなあに〜奈緒ちゃんと家族の35年〜』を完成させ間も無いことでもあり、このタイミングで捨てるものは捨ててサッパリしよう、と決意してのことだ。
映画『奈緒ちゃん』から自主製作・自主上映に手を染め35年、右往左往しながら自分なりに、ドキュメンタリー映画を創り観てもらうナリワイを生きて来た。
見よう見まね、迷いに迷う人生だった・・・
よくやって来たとも思うし、まだまだだ、とも思う。
35年間に渡る書類や本の山に埋もれながら、いつの頃からかブレーキがぶっ壊れちまい、自力で止まれなくなった人生の旅路の、かすかな記憶をたどってみる。覚えていることは、ほとんど恥ずかしいことばかりだ。一体この旅は何処へ向かっているのだろう・・・
わからない、わからないことが多すぎる。
でも、走り続けるしかない。
くたばるまで・・・走り続ける。
この冬は地方巡業が続いた。
金沢、静岡、京都、神戸、広島・・・
新作『やさしくなあに』を上映してくれる各地のミニシアターで、毎週のように舞台挨拶に立っていた。
少しはお客さんが増えるといい、という思いで「よろしくお願いします」と頭を下げ続けた。
ミニシアター上映でお客さんに来てもらい、観てもらったお客さんに、自主上映に取り組んでもらう・・・というのが、我がいせフィルムの営業戦略のひとつでもある。
そして自主上映を積み重ねて行くことで、映画を観てもらいながら製作費を回収する。自主上映活動は、私が映画を創り続けて行く上での生命線なのだ。
電話での上映問合せで、自主上映に上映料が必要であることを説明したら「あんなにいい映画、お金を取ってはいけません・・・」と言われてしまったことがある。そお言われても、困ってしまう。
「上映料を安くしてもらえないか・・・」という問合せも時々ある。その度ごとに、上映担当のスタッフが丁重に、自主上映を公平にやってもらうために値引きはしないことを説得する。
私も、我がスタッフも、生きて行かなきゃならないのですから。
この春からいよいよ本格的に、新作『やさしくなあに〜奈緒ちゃんと家族の35年〜』の自主上映が各地で始まる。
一ヶ所一ヶ所、上映を積み重ね、日本中世界中に『やさしくなあに』が広まりますように・・・
姉(奈緒ちゃんのお母さん)から、励ましのメールが届いた。
「春も、春になろうとして頑張ってるから、映画もめげずに春になるのを待ちましょう!」
ホントだ・・・
「映画も、映画になろうとして頑張る」
自主上映のこと、よろしくお願いします。
「問いを深める」2018.1
2018年の年明けは『やさしくなあに〜奈緒ちゃんと家族の35年〜』の上映で始まった。
35年間撮影に通った横浜市泉区、奈緒ちゃん一家の地元での自主上映と、東京・新宿K’sシネマでのアンコール上映だ。
横浜市泉区での上映は、500人近いお客さんが集まってくれた。
主人公の一人、奈緒ちゃんのお母さんは私の姉だが、昔からお祭り好きで今回の上映でも、集客、当日の運営と、これ以上無いような頑張りようだった。その奈緒ちゃんのお母さんを中心に、奈緒ちゃんの通う知的障がい者施設「ぴぐれっと」のお母さんパワーが炸裂、とても楽しい一日になった。
これから全国各地で拡めようと思っている自主上映の、最先のよいスタートが切れたと思う。
新宿K’sシネマでは昨年11月に一度封切り上映を行ったのだが、好評につきもう一度、ということでのアンコール上映だった。
今回は、前回程集客が伸びず苦戦、けれども連日、足を運んでくれるお客さんがいた・・・ありがたい。
今年も、一喜一憂の日々に明け暮れるのだろう。
お客さんが来る来ないだけが、映画を上映することの意味ではないかもしれない、とこの頃思う。
自分に引きつけて言えば、何より映画を創った本人が、自作を観ることからどんなメッセージを受け止めることが出来るかが、大切なのではないだろうか・・・
映画『やさしくなあに』は、我ながらとても奥行きのある映画だと思う。
観れば観る程、色々なことを考えさせてくれる。映画を観た人の感想もじつに多様だ。共通しているのは、多くの人が、自分のこと、自分の家族のことを書いていることかな?まず奈緒ちゃん一家にエールを送り、実は、私は、私の家族は・・・という具合に。
映画を観るということは、独りになって自分自身のことを振り返るということにつながると思う。
映画は「窓」というよりも「鏡」なのだから。
スクリーンに写る自分自身を、しばし見つめる行為でもあるのだ。知識を得て答えを受け止めるということよりも、問いに気づき、答えのない問いを深めるという時間なのだ。暗がりの中で一時間、二時間、時には三時間、心を宙づりにして旅をするのだ。
答えなどあってたまるか・・・
ひたすら問いを深めることこそが、映画を創ること、観ることなのだ。
創り手は悩みに悩んだあげくに長い旅を終え、ひとまず「完成」という波止場にたどり着くのだが、旅は決して終わったわけではなく、果てしなく続いているということだ。
映画は人生そのものだと思う。
2月は全国各地のミニシアターでの上映が始まる。
2月10日(土)には恒例の「ヒューマンドキュメンタリー映画館 日比谷」で、50年前に製作された『奈緒ちゃん』のカメラマン・瀬川順一さん撮影のドキュメンタリー『夜明け前の子どもたち』と『やさしくなあに』が二本立て上映される。
その日の夜、23時からのNHK ETV特集では、いせフィルム製作の日本のアールブリュットを描いたドキュメンタリー『人知れず 表現し続ける人たちⅡ』
(伊勢朋矢演出)が放送される。
創り続ける。上映を続ける。
・・・そして問いを深める。
今年もよろしく。