「毎日映画コンクール受賞!!」 2020.1
いつも映画が完成した時には「最高傑作だ!」と思い、試写などで他の人の批評に晒され、だんだん自信を失い、冷めて行くものですが、「えんとこの歌」は自己評価があまり冷めないから、本当に最高傑作かな…と思っていたら、映画コンクールの受賞が決まった。
2019年度毎日映画コンクールドキュメンタリー賞のグランプリだ。キネマ旬報ベストテンと並んで国内の映画コンクールの中では、一番歴史もあり、権威のある賞と言われている。私は長編処女作の「奈緒ちゃん」でもらっているので、二度目の受賞となる。
このドキュメンタリー賞を二度受賞した人はいない、と言われたので、第1回(1946年)からの受賞作を調べてみたら、教育文化映画賞と言われていた時代に、もう一人、複数回受賞している人がいた。1956年の「カラコルム」、1957年の「南極大陸」の構成編集者、
伊勢長之助… 私の父だ。
伊勢家は二代続けて、毎日映画コンクールを複数受賞したことになる。何だか嬉しい。
父に反発して、「映画の仕事だけはやるまい…」と言っていた男が、父の死後、記録映画の仕事をやるようになり、父と同じ賞を受賞したことを悦んでいるなんてアホらしい、と笑われるかもしれない。
それにしても今回の「えんとこの歌」、我ながら、何故受賞したのだろう、と考えないわけにはいかない。
ここのところのドキュメンタリーの賞の多くは、所謂「社会性」の強い作品しか選ばれない傾向だったので、私のようなヒューマンドキュメンタリーは、「何、寝ぼけたこと言ってんの!?」とインテリの審査員諸氏に馬鹿にされてると思っていたからね。
「えんとこの歌」は、全編に渡って、脳性マヒで寝たきりの友人、遠藤滋が暮らす6帖ほどのアパートの一室を撮り続けた映像で描かれている。ただただ、遠藤と、介助の若者達との係わりの日々が淡々と写しだされ、遠藤の短歌が紹介される、それだけの映画だ。
…でも撮り始めてから、24年間かかったけどね。
こんな地味な映画をよくも選んだなあ…
2016年のカンヌのパルム・ドールも、ケン・ローチの「わたしはダニエル・ブレイク」のような地味な映画が受賞してるから、世界的な傾向なのだろうか?
一ヶ所の場所、一人の人の中に世界はある…というのが、エラそうに言えば私の持論です。
世界中を取材すれば、世界が描けるのではないと思う。一ヶ所を、一人の人をじっと見つめ続けていれば、そこに世界は写り込む、と信じてカメラを回し続けることこそが、私にとってのドキュメンタリー…
前作「やさしくなあに 〜奈緒ちゃんと家族の35年〜」という映画は、35年間、障がいのある姪っ子、奈緒ちゃんとその家族を撮り続けた記録だ。
そして今回は、東京・世田谷にある学生時代の友人のアパート、「えんとこ」に24年間通い続けた記録。
更に次回作も、30年近くカメラを回し続けている。中身はまだ内緒だけど…
仕事が遅いといえば、その通りだけど、慌てることはない… ゆっくり考えるさ、というドキュメンタリー創りなんだ、一言で言えば。
受賞を率直に悦び、同時に「えんとこの歌」に限らず、我がドキュメンタリー映画の傑作の数々を、これを機にもっともっと多くの人に観てもらいたいと願う。
まずは、ほとんど知られていない映画「えんとこの歌」を観てもらいたい。
そして、ほとんど知られていない映像作家、伊勢真一という奴が創り続けて来た作品に関心を持ってもらえたら、今回の受賞がそのキッカケになれば…と。
こうなったら、クタバルまでドキュメンタリーを創りり続けるぞ!ヨロシク!!
「一生懸命」 2020.2
「一生懸命」創ったものは、
「一生懸命」観てもらえる
(黒澤 明)
世界の黒澤もヘボカントク(私)と同じようなことを考えながら映画創りに取り組んでいたらしい。
「自主製作」「自主上映」を標榜しドキュメンタリー映画を作り続けて来たのだが、「自主製作」「自主上映」とは要するに「一生懸命」創るから「一生懸命」観てほしい…と言ってるようなもんだ。
『えんとこの歌』で毎日映画コンクールの授賞式に出席し、相変わらずドキュメンタリー映画は、映画の世界の末席に位置しているんだな、と思った。末席に居るのは仕方ないとして、映画としてちゃんと観てほしいな、とずっと思い続けて来たんだけど…
食わず嫌いならぬ、観ず嫌いの人がまだまだ多いのだ。悔しい。
我らが『えんとこの歌』受賞スピーチは、私と主人公の遠藤滋と介助の若者達とでステージに上がった。
たどたどしい語りだったけど、劇映画の方々以上に存在感があったように思う。心の底から、創らないわけに行かなかった強い思いを、みんなでメッセージしたからね…
映画同様に、今年の毎日映画コンクールの中では出色だったと思う。どうしても映画にしたかった、という思いに溢れていたから…「自惚れ」かもしれないけど、ピカイチだった。
毎日映画コンクール受賞の勢いで上映活動に取り組もうと各地での予定を組み、愉しみにしていた矢先に「コロナウィルス」による自粛騒動が起きた。
「映画の神様」はコンクール受賞で散々持ち上げといて、何という試練を与えるのだろう…次々に上映中止の連絡が届いた。
我がいせフィルムにとって自主上映は生命線、各地で自主上映を開催してもらい、製作資金、上映資金を回収することで辛うじて運営されているのだから、上映中止が続くと、いせフィルムは完全にアウトなのだ。
格差社会。結局、日本の社会はコトが起きると弱い所弱いところへとダメージが拡っていくようになっているのだ。クソ!!
すっかり打ちのめされながら、東京・世田谷、下高井戸シネマでの受賞記念上映に毎朝通い続けている日々…捨てる神あれば拾う神あり。
連日、20人を超える方々が、メディアから流される「人混みへ行くな!」という情報をモノともせず観に来てくれている。
「一生懸命」創ったものは
「一生懸命」観てもらえる…
我が映画は黒澤明さんのように沢山の人々に観てもらえないけど、「一生懸命」観てもらえてるじゃないか…
黒澤さん、いいこと言うよな。
たとえ20人が一人になっても「一生懸命」観てもらえたら上等だ。
ベッドの上で35年間「一生懸命」生きて来た遠藤を「一生懸命」撮影した映画を「一生懸命」観てくれる人がいる…それで充分かもしれない。
思い「邪(よこしま)」無し…というコトバがあると教えてもらった。「えんとこの歌」は「魂」の深い深いところまで届くような映画だと思っている。
負けてたまるか!と声に出して言ってみる。
「淡々と」 2020.3
ひと月ほど「つぶやき」を書かなかった。
実際には、毎日ヒトリゴトを「つぶやき」続ける日々だったけど…
「新型コロナウイルス」の影響で、我がいせフィルムの生命線である自主上映が次々中止(延期)になり壊滅状態、存亡の危機であります。
(でもずっと存亡の危機を生きて来たんだけどね。)
三月には東京で「ユジク阿佐ヶ谷」、四月には「シネマ・チュプキ・タバタ」、というミニシアターが土俵際一杯でこらえるような体勢で、『えんとこの歌』の上映を続けてくれてきた。
「シネマ・チュプキ・タバタ」は日本で唯一のユニバーサルシアターで、眼の見えない方、耳の聴こえない方も、一緒に映画を観てもらえるミニシアター、山手線田端駅近くの商店街にある、座席数20程度の小さな映画館だ。
実は、いせフィルムの名作の数々を生み出している編集室は、田端の隣り西日暮里駅のすぐ傍にある小さなスペースで「牛小屋」と呼んでいる。
私が丑年生まれで、仕事が牛のようにノロノロしているからだけど、もう二十年以上も我が創作活動の拠点にしているのだ。
だから今回は、言わば地元での上映…
で、このところは田端にある小さな映画館上映に立ち会いながら、西日暮里で次回作の編集に取り組む日々を送っている。
ここのところ口グセのようにつぶやいているのは「淡々と」という言葉だ。
テレビも、新聞も、SNSも、「新型コロナウイルス」に明け暮れる日々、その状況をしっかり受け止めながらも「淡々と」自分らしい日々を生きることが、誰にとっても、この時期とても大切なことに思える…
こおいう状況だからこそ、いつもの自分、考え方のベースを出来るだけくずさずにいたい、とも思うのだ。
もともと「淡々と人々の日々を描いていることがよかった…」とか、「淡々とし過ぎて盛り上りに欠けつまらなかった…」とか、映画を観た感想でよく言われて来たので、私にとっては「淡々と」という言葉は、馴染みのフレーズではあった。
新作『えんとこの歌』は、「淡々と」の極みのような映画だ。脳性マヒで35年間寝たきりの友人、遠藤滋と介助の若者達が過ごす六帖程のアパートの一室での、二十数年間に及ぶ日々の記録だからね。
主人公の遠藤がラストシーン近くで「粘って粘って、粘るだけしか武器は無かったんだ…」と、うめくようにつぶやく。長い長い時間をベッドの上で「淡々と」いのちのケアーに取り組み続けて来た遠藤ならではの、説得力のある言葉だ。
「淡々と」という営みの在り様は、実は極めてポジティブな生きるスタンスなのだと思う。
「新型コロナウイルス」の状況下で『えんとこの歌』を観て、この映画は、今こそ観てもらうべき映画だ、と心から思った…本当だ。
一日も早く、この映画の各地での上映を再開したいと思っている。
どうか、力になってほしい。
新聞に、劇作家の平田オリザさんが
「私は今もうレジスタンスを始めているつもりだ…
ファシズムは気がついた時にはもう、社会全体を覆っている。」という文章を寄せていた。
私にとっては、「淡々と」自主製作の映画を創り、「淡々と」その映画を観てもらうことこそが、レジスタンスに他ならない。
「生きているよ」 2020.4
ここのところは一人で編集室に籠っていることが多い…
一日ほとんど誰とも話をしないで、「次なる作戦」の編集に取り組んでいる。
けれどもこれがなかなか前へ進まない、困ったもんだ。
「あぁ、映画の仕事に向いていないのかもしれない…才能って奴が無いんだ。」編集作業の前半線は、いつも落ちこむ。完成真近になると「俺は天才なんじゃないか…」と思うんだけど…
我がナリワイの生命線である自主上映が、見事に全滅。収入源が絶たれた状態を何とかしなければ、と零細プロダクションの代表として考えを巡らせながらの編集作業だから、いつもに増して、編集にブレーキがかかるんだ。
自粛の要請だけ、まるで「正義の味方」のように言いつのり、我々のような「不用不急」の存在を邪魔者扱いする、この国のリーダー達のことを思うと腹ワタが煮えくり返り、その怒りの持って行き場の無さに苛立つだけだからなあ…
でも、今、本当に大変なのは俺たちじゃない。
医療の最前線で「新型コロナウイルス」と格闘している方々や、介護に携わる方、社会の機能を止めないように働いている無名の一人ひとりのことを思うと、何も手伝えず申し訳ない、と思うしかない。
こんなメールが舞い込んだ…
「差し出がましいというかお節介というか、勝手な思いでメールを差し上げてしまいます。
でも、自主上映活動でプロダクションを支えることがどれほど大変なことか、僕にも想像はつきます。そして何よりも、心に残るたくさんの作品を世に送り出してくださったことに、こういう時こそ敬意と感謝を何かのかたちで表すべき、と考えました。
もしものことがあったら、と想像するのも甚だ失礼なのですが、もし立ち行かなくなる日を突然迎えたら、絶対に後悔すると思いました。
伊勢監督さんたちが苦しい思いを抱えながら作品づくりを続けてこられた意味は、オーディエンスだからこそ忘れてはならないし、誰かに伝えていかねばならない、そう考えています。
なにぶんこちらも裕福ではないので(笑)、ほんのわずかですが…またどこかで、
お元気な姿で再会できたらうれしいです。」
もう何年も顔を合わせていない人からだった…
これ以外にも、何人かの方々が、「いせフィルム」のことを心配して、メールや手紙やカンパを寄せてくれている。
ただ勝手に、映画を創り続けて来た俺みたいな奴を忘れずにいてくれたんだ、
と思うだけで嬉しい。
「映画を創ってもいい」と言ってもらえた気がする、「生きていてもいい」と
言ってもらったような…
「次なる作戦」はどんな映画ですか?と時々聞かれる。「秘密です…」と、
笑ってゴマかす。
創ろうと思い立ってからもう四十年近くかかっている作品だ。
折角だから…もう少し内緒にしておこう。
でも、膨大に撮影されている映像の整理をしているうちに、オボロゲに映画の全体像が見えてきてはいる。
ほんの僅かかもしれないけど、私の作品を心に残してくれている一人ひとりに、「心に残る」映画を届けたいと素直に思う。
「映画を創ってもいい」と言われたことへのお礼のような映画になればいい…
「生きているよ」と。
「小心者也」 2020.5
青い花、黄色い花、紅い花、ピンクの花、
そして白い花…
この頃は毎朝、スマホで路端の草花を、
気まぐれに撮影している。
何だか、気持ちが落ち着くんだ。
春先からの「新型コロナウイルス」騒動で、人並みに動揺しているんだな。
普通ではいられないという気持ちが、
路端の小さな草花に励まされているのだとおもう。
けっこう、小心者だからね。
ドキュメンタリストが小心者で、どうする!
と、言われてしまうかもしれないが、小心者だから
ドキュメンタリーを創れるようにも思う。
戦時中、唯一の「反戦映画」と言われることもある、「戦ふ兵隊」という名作ドキュメンタリーのカメラマン、三木茂さんは、とても臆病な人だったらしい。
三木さんの撮影助手だった映画『奈緒ちゃん』のカメラマン、瀬川順一さんは、中国戦線の戦場で三木さんが、何度となくブルブル震えて撮影どころでなかった場面を見た、と言う。
けれども三木さんは、戦闘が終えたあとの焼け野原、たくましく生きる草花、疲れきった兵隊、倒れる牛馬…を丁寧に撮影して、見事に「戦争」を描いたのだ。
私も小心者だから、ドキュメンタリーを創る資格充分、と自己肯定しているのですが…
しかし、この非常事態の状況下で、手をこまねいていては即、零細プロダクション「いせフィルム」は潰れてしまう。それは、あまりにも切ない。
やれることをやらなければ…と考え、思いついたのは、
自作のDVD-BOXシリーズの発売。この際、伊勢真一作品集をまとめること。唯一の収入源である上映活動が止まっている中で、出来ることのひとつだ。
レストランの「テイクアウト作戦」のようなものか?
味には自信があるから家に持って帰って召し上れ、
作品には自信があるから家でじっくり観てください、
ということだ。
後輩からは「もうDVDじゃなくてWebでしょう…」と、あからさまに馬鹿にされてるけど。
我が映画を応援してくれる一人ひとりの傍に、
DVD-BOXシリーズが置かれているという手応えを、私は感じていたい、ということだ。
そんなで、この春は、次回作の編集の手を休めて、
ひたすら「DVD-BOXをぜひ買ってください」というお願い状を書きまくっていた。
生き残るためだったら、やれることやんなきゃね。
ただの延命ではない。生き残るということは、映画を生き続けるということだ。
誰しもこの事態をキレイゴトで切り抜けることは出来ない。やれるだけのことをやって、
きっと、大きく傷を負って、それでも生き続けるという覚悟…
小心者は、小心者なりの勇気が必要なんだ。
小心者ならではの勇気のようなものが。
「もういつ死んだっておかしくないのだから」
行けるところまで行くんだ…
頼むぜ。
伊勢真一監督DVD-BOXシリーズ(20作品全5巻)をよろしくお願いします。
必ず、自主上映活動を再開します。
上映の手を上げてくれる一人ひとりの力を借りて。
だから…よろしく。
祈再会。
「チャンス」 2020.6
「ピンチ」のあとには、必ず「チャンス」が来る…
野球少年の時代から、そう信じて生きてきた。
多分、理に叶っているのだと思う。
「ピンチ」の時には、気持ちをひとつにして困難に立ち向かうことで、乗り切ろうとするし、原点を見つめ直す、という思考になる。
そのことで、パワーが十分に蓄えられるからね。
で、そのパワーがチャンスを創り出す起点になるんだ。
この際、自作のDVD-BOXシリーズを出して、
「ピンチ」を応援してもらおうと考え、発売を決めた「伊勢真一監督作品DVD-BOXシリーズ」全二十作…
普通は、監督があの世へ逝ってから、ひっそりと、やるものかもしれないが、まあ生前葬のつもりで、自ら企画したのだ。
とは言え、買ってもらえるかどうか、びくびくしながら第一弾「奈緒ちゃんシリーズ」の予約を待ち受けているところです。
「ヒューマンドキュメンタリー」を旗印に遮二無二 自主製作、自主上映の道を走り続けて、気がついたら、これだけの作品が生まれ出ていた… たいしたもんだ。
観るに足らない、語るに足らない作品ばかりだ、と言われるかもしれないが、「ケッコウ ケダラケ ネコハイダラケ」だ。
映画の神様、少しは誉めてやってくださいよ…
零細プロダクション、いせフィルムが社運をかけて、取り組んでいるDVD-BOXシリーズ、どうか力になってほしい。
一人でじっくり見るのもよし、団体視聴用を仲間で観て語り合うのもよし、観てほしいどなたかにプレゼントするのもよし、です。
上映活動も再開しました。
東京・田端にある小さな映画館「シネマ・チュプキ・タバタ」で、「えんとこの歌」の上映が始まりました。
四月に予定していたプログラムのリベンジです。
目の見えない方も、耳の聴こえない方も小さなお子さん連れの方も、お年寄りも…
みんな一緒に観ることが出来る、日本で唯一のユニバーサル上映専門館での上映だ。
初日のトークで、
「えんとこの歌」は、今回のコロナ禍の状況を予見した映画のようだ…
政治も、メディアも、人々の不安を駆り立てる機能しか果たせていないような現状で、映画「えんとこの歌」は、今とこれからの人と人との在りように希望のメッセージを語りかけているように思う。
今こそ、観られるべき映画だ。大袈裟ではなく、世界中の人々に観せたい。
自信を失ってしまっている今の私達に必要な映画だ… と、興奮気味に演説してしまった。
本当に、今、一人でも多くの方々に観てもらいたい。
もうすでに観た人は、今、もう一度。
まだ観ていない人は、ぜひこの機会に観てほしい。
「えんとこの歌」が予見している、今とこれからを、感じ取ってほしいのです。
自主上映も、何ヶ所かで再開します。
「ピンチをチャンスに…」
「ピンチ」をしっかり受け止めた一人ひとりは、傷つきながらでも、「チャンス」を創ることが出来るのだ。
負けてたまるか…
大丈夫。きっとうまく行く。
「チャンス」なのだから。