監督のつぶやき

2019年

 

最新号      2019年3月更新

 

 

「音楽」と「映画」    2019年1月

「一人ひとり」      2019年2月

「ゆっくりと、ていねいに」2019年3月 NEW

「ゆっくりと、ていねいに」2019.3.31


1月から3月まで、自作「やさしくなあに」が海外各地の映画祭に「Home, Sweet Home」とタイトルを代えて招かれ、転戦して来た。

フィンランド、アメリカ(ミズーリ州)、ルーマニア、ロンドン・・・どこもドキュメンタリーの小さな映画祭で、とても雰囲気のいい、あったかい映画のお祭りだった。

35年間、ねばりにねばって作品創りに取り組んで来たことを観ていた映画の神様が、「まあ、出来はともかく御褒美をあげよう・・・」と、微笑みかけてくれたのに違いない。

 

フィンランドでは大好きな監督 アキ・カウリスマキがヘルシンキの街中に持っているミニシアターで、上映してもらった。

私がファンだということを知って、映画祭のスタッフが特別にはからってくれたみたいだ。観に来てくれたお客さんもカウリスマキのファンが多かったかもしれない。小津安二郎ファンで日本贔屓のカウリスマキ同様、日本の家族を描いた「Home, Sweet Home」に、あったかい眼を注いでくれた。

とても嬉しかった。嬉しくて舞い上がってしまった私は、財布を映画館に忘れてしまった・・・

日本に帰って数日後、その財布が送られてきた。

奇跡的なことだ。奇跡を起こしたのは、カウリスマキその人に違いない、と私は密かに思っている。

 

2月に行ったアメリカミズーリ州の「ウソとホントの映画祭」は、コロンビアという中西部の小さな街での映画祭だった。

台湾で「Home, Sweet Home」を観たプログラムディレクターが気に入ってくれて招待が決まったようで、日本映画が招かれたのは初めてだったらしい。

まさしく街ぐるみの映画祭で、零下15度の雪の中を行列をつくって映画を観に来る人のほとんどは街の人達だった。我が映画は、3回の上映とも300人近い人々が観に来てくれて大好評だった。映画が終わってからのトークにも、ほとんどの人が一時間近くのQAに付き合ってくれた。もしかしたら、日本での反応よりいいかもしれない、と思うほど映画への共感は強かったなぁ・・・

 

3月のルーマニアでの「ワンワールド映画祭」でも「Home, Sweet Home」の反響は好調だった。

35年間の記録、というのが強いインパクトを持つと考え、私がこの映画を撮り始めた頃はルーマニアは社会主義国だったこと、社会の変化以上に家族の歴史、もっと言えば、一人ひとりの個人史を、ドキュメンタリーが記録することの意味のようなことを、通訳の方を通じて語りかけた・・・上映トークが終わったのは、もう夜中の12時を過ぎていたと思う。

充実したヒトトキだった。

 

海外の映画祭を終えて帰国したらすぐに、仲間達と十数年前からやっている、横浜・大倉山での映画祭。

ここでは、出来上がったばかりの新作「えんとこの歌〜寝たきり歌人 遠藤滋〜」を上映した。海外と違い言葉が通じるから、トークは快調に出来るかと思ったけど、とんでもなかった。

「えんとこの歌」のサブカメラマン宮田八郎のことをしきりに思い(「えんとこの歌」の星のカットを伊豆の海で撮影した翌日、近くの海でのカヌーの合宿で遭難してしまった。)話の最中に絶句、涙が止まらなくなってしまったのだ。もうすぐ一年になる・・・まだまだナマ傷なんだ。

 

地道に仕事をしよう。上映活動に取り組もう。

仲間達と「いのちがけ」で創った映画を、

ゆっくりと、ていねいに、観てもらうのだ・・・

応援してほしい。

 

 

「一人ひとり」2019.2.28

 

自主製作でドキュメンタリー映画を創り続け、自主上映を中心に上映活動を続けて来た。

そして「一人でも多くの方々に観てもらいたい・・・」と言いつのり、「一人ひとりにそれぞれの思いで受け止めてほしい・・・」と、いつも語って来た。

 

ここのところ『やさしくなあに〜奈緒ちゃんと家族の35年〜』が、海外の映画祭で好評だ。一月末にはフィンランド・ヘルシンキでの映画祭で上映され、ここでも大好評だった。(海外版タイトルは『Home Sweet Home』)昨年からの海外上映での反応はどこでも、日本国内よりも断然いい・・・

どうしてだろう?と考え続けている。

しかし、何はともあれ、

言語も文化も違う方々の共感は、とても嬉しかった。

 

私は「一人ひとり」違う人生を生きる方々に映画を届けたい、と言いながら、「一人ひとり」に向けて、こちら側から積極的に自作を観てもらう努力をして来ただろうか・・・

小さな穴の中で、ワカッテくれる人にだけ映画を観てもらうような傾向があったかもしれない、と今更ながら思い返している。

 

昨年の暮れから、視覚・聴覚の障がいがある方々向けの、自作のバリアフリー上映版に取り組みはじめた。前から、やらなければと思っていながら、主にコストの面で躊躇していて出来なかったのだが、(貧乏プロダクションだからね)思い切ってやってみることにした。

バリアフリー上映版を創るためには、視覚・聴覚それぞれにプロの創り手がいて、その方々が視覚・聴覚障がいの当事者の意見を聞きながら、私が創った映画を翻訳していく作業をしてくれる。

どうしたら元の映画の世界をそのままに、視覚・聴覚障がいの方々に伝えることができるか・・・という  なかなか骨の折れる仕事だ。

 

視覚障がいの方も聴覚障がいの方も、映画が好きな人が多いにもかかわらず、これまでは映画を楽しむことが難しかった。観てもらうための工夫をすれば出来るのだから「映画」の側がそれぞれの観客のハンデを理解し、歩み寄る努力をするべし・・・ということだ。

 

今、手がけているのは『やさしくなあに』のバリアフリー版で、もうすぐ出来あがるのだが、障がいのある「一人ひとり」に自作を観てもらうことが可能になるのが、素直に嬉しい。「一人ひとり」に観てもらうという具体的な展開のひとつに違いない。どんな反応があるだろう?

(近々に新作『えんとこの歌』のバリアフリー版にも取り組むので、上映に関心のある方はぜひ問合せてみてほしい)

 

ドキュメンタリー映画の客層が、どうしても高齢者に片寄ってしまうことを何とかしたいと、ずっと思っている。

懸案の若い人達に観てもらうためのアプローチも、もっと積極的にやらなければ・・・観てくれた若者達の多くは、とても共感してくれているのだから。

これも「一人ひとり」に観てもらうという具体的な展開のひとつに違いない。

 

「一人ひとり」に観てもらう、という中身をしっかり埋めて行くような上映活動に前ノメリになって取り組もうと思う。

アトサキ考えずに、ただただ無我夢中で映画を創り続けて来たけど、その一作一作を丁寧に「一人ひとり」に手渡して行くことが、これからの自分の課題のように思うから・・・

映画を通じて、「一人ひとり」に出逢うために。

 

「音楽」と「映画」2019.1.31


伊勢さんの映画はどれも「音楽」がいいですね・・・と時々褒められる。

映画は総合芸術だから、「音楽」とか「映像」とかを部分的にいいと言われるのは、それこそあんまり褒められたもんでは無いけど、悪い気はしない。

映画を観終って出て来る時に、思わずテーマ曲を口ずさんでしまうような映画を創りたい、とも思っているからね。

 

こんな風に書くと硬派のドキュメンタリー愛好者から、「本来ドキュメンタリーに音楽は不用だ!」と怒られるかもしれないけど、軟派なドキュメンタリストとしては、音楽や美しい映像にうっとりするのは、映画を創り観ることの、この上無い悦びだからなあ、と言いたくなる。

逆に、テーマだけは立派で、雑なカットや、雑な編集や、雑な音処理の、ドキュメンタリーを観せられると、無性に腹が立つ。「ちゃんと創れよ、ちゃんと‼」と、言いたくなる。映画が好きなんだったら、映画にもっとやさしくしなきゃね。

そおいう映画を創り、評価する輩に限って、「ドキュメンタリーとは・・・」という理屈を言いたがる傾向があるからなあ。

映画に限らずどんな仕事だって、愛情を持って丁寧にというのが基本だと思うけど。

 

我が父、伊勢長之助は、一般の人にほとんど観られることの無いPR映画を創り続けて、60才で死んだ。

記録映画の編集者として手がけた仕事の数は、戦後の映画界の中ではピカ一だったのでは、ないだろうか?よく働き、よく映画を創り続けた職人映画人だった。父は、「編集の神様」と呼ばれることもあったくらい、その腕は定評があったらしい・・・

私は「編集の神様」である父から仕事を教わったわけではなく、見よう見真似で仕事を覚えたので、いつまでたっても映画創りの腕は上がらない、なかなか上手くならない、困ったもんだ。今も、上手くなりたい、と思い続けているけどね。

 

まるで映画の仕事をやるつもりが無かった若い頃の私に、父が呟いた言葉を、今頃になってふと思い出す。「映画は総合芸術だからいいんだ・・・」

「映画は音楽に似ているんだ・・・」

「何やってもいいけど手に職をつけろよ・・・」

いつの間にか、映画の仕事に手を染めるようになり、私も親父と同じようなことを思うようになっていた。不思議なもんだ。

 

映画の「音楽」を褒められるというのは、映画全体の、リズム、メロディー、トーン、が受け止められているということかもしれない。映画と向き合いながら対話している一人ひとりのお客さんと、映画との呼吸が合っている、息が合っている、ということのような気がする。頭で映画を創り、観るのではなく、カラダで映画を受け止め語り合っている、という感じか・・・

 

「気が合う」と言うよりも「息が合う」

親父もそんな思いを抱きながら映画を創り続けたのに違いない。

「息が合う」一人ひとりとの出逢いが、親父に映画を創らせたのだ・・・

観られることの少ない映画を丁寧に創り続けた、親父や先輩達の道を、歩みたいと思う。

宮沢賢治が詩ったように「褒められもせず苦にもされずみんなにデクノ坊と呼ばれても」きっと「息が合う」一人ひとりと出逢うことができるに違いないから。

 

私も、自分なりの映画を創り続けて、「息が合う」一人ひとりと出逢い、生きて行こう。

まだまだ創り続けるのだ。