2019年

 

最新号      2019年12月更新

 

 

「音楽」と「映画」    2019年1月

「一人ひとり」      2019年2月

「ゆっくりと、ていねいに」2019年3月 

「ねばってねばって…」  2019年6月

「いのち」のイトオシサ  2019年7月

「きっと目が覚める」   2019年8月

「優しくなりたい」    2019年9月

 「応援団」           2019年10月 

 「寄り合う」          2019年11月 

 「浮 力」             2019年12月 

 「浮力」 2019.12

 

自主製作で創る私の映画は、自主上映が生命線だ。

自主上映での上映料を積み重ねて、少しずつ製作費を回収して行くのです。自主上映をしつこいほど呼びかけるのは、もちろん各地で映画を観てもらいたいからだが、同時に、自主上映をしなければ一輪車創業の我がいせフィルムはその時点でバッタリ倒れてしまう、という哀しい結末になるからです。

 

「いせさんはどうしてそんなに楽天的なんですか?」と先日ある人に言われてしまった。

アトサキ考えずに自主製作で映画を創ってしまって、映画が出来上がってからお金を回収して行くなんて、余程、勇気があるか、出来上がる映画に自信があるかでないとできないでしょう…と。

勇気も、自信も全然無いけど、こんな風な映画の創り方しか出来無いんだから仕方ない。

 

映画『えんとこの歌〜寝たきり歌人・遠藤滋〜』は、正直言ってとてもいい映画です…けれども正直言って、今までのところお客さんが大入りという訳ではありません。どうしてなんだろう…とずっと考えてます。

一人で酒を呑んでる時には、「もう日本は駄目だ!こんなにいい映画を観に来ようとしない日本人っていう奴の民度は最低だ‼」と世の中を呪います。今回に限ったことではないけど、毎回毎回作品を創るごとにそんなことを繰り返えしているんだけど…。

でも、ヒトマエではニヤニヤ笑って楽天的な“いせさん”を生きて来たんだ。

 

観に来ないお客さんたちも少しは反省してほしいなあ…。メディアやインターネットで「話題性」ばっかり追いかけて、人気のラーメン屋に群がるのとほとんど変わらない感覚で、「話題作」のアト追いをするような映画の品定めは止めてほしい。

もちろんヤッカミで言ってるんだけど。

映画『えんとこの歌』に、35年間寝たきりで自分の足で歩くことが叶わなかった主人公の遠藤滋が、介助の若者達に連れられて故郷静岡の海に向かうシーンがある。そして若者達と一緒に海に入った遠藤が…

 

「海中に入れば不思議や出でざりし

右足前に軽く運べり」 (遠藤滋)

 

なんと、歩いたのだ。介助の若者達も撮影スタッフも驚き、そして悦んだ。何より当の遠藤の悦びようは、これ以上ないという笑顔だった。

 

そのシーンを編集しながら「自分の足で歩こうという思いを諦めなかった遠藤のように私は生きようとしているだろうか…」と思わないわけにはいかなかった。

すぐにフテクサレ、すぐにアキラメテしまう自分のことを思うと同時に、「浮力」のことも思った。

海の「浮力」が遠藤を歩かせているのだ、と。

私達の社会にもう少し「浮力」があれば、遠藤に限らず誰もが自分の足で歩く悦びのような「いのち」を、もう少し生きることが出来るに違いない。

 

では、「浮力」とは何だろう?

本当は政治こそが、「浮力」を創るナリワイなのだと思う。でもね…もう、ほど遠いよね今の政治は。

ひるがえって、映画は「浮力」と成りうるのか?

 

思い切って言わせてもらうと、映画『えんとこの歌』は、「浮力」そのもののような映画だ。

嘘だと思うなら、ぜひ足を運んで観てください。

街から遠く離れ、海があるように、「話題性」から遠く離れて、「浮力」を感じ取りに来て欲しいのだ。

 

私達の社会を「浮力」のある海にもどすことを、

映画『えんとこの歌』を観てイメージしてほしい。

 

 

 「寄り合う」 2019.11

 

脳性マヒで寝たきりの主人公遠藤滋と介助者とのかかわりの日々を追ったドキュメンタリー『えんとこの歌』は、この夏に公開して各地ですでに200日に及ぶ上映を重ねて来た。

このところ、観た方々の感想や手紙を整理していて、映画の中で介助者の一人が呟く言葉「寄り添うのではなく、寄り合う」という言葉が、新鮮な共感を呼んでいることに気付いた。

「寄り添う、というフレーズはよく使われますが、何と上から目線であるか、を気付かされました。」という感想もあった。

 

「寄り添う」という言葉は、医療や福祉や教育の世界では肯定的に使われている。

「伊勢さんは長い時間をかけて被写体に寄り添って・・・・・、映画を創られるんですねえ…」と言われることもある。

でも確かに、上から目線というか押し付けがましいところがある。「寄り合う」関係の中で、私は映画を創りたいと思うし、そうして来たつもりでもある。

 

「寄り添う」から「寄り合う」繋りへ…

という立ち位置に近い言葉に出逢ったことがある。

1950年代に日本の障がい者福祉の考えを大きく変えたと言われる、滋賀県びわこ学園の設立者、糸賀一雄さんの「この子ら世の光に」という言葉だ。

それまでの障がい者福祉の考え「この子ら世の光を」ではなく「この子ら

世の光に」という視点だ。

可哀そうなこの子ら光を当てようということではなく、この子らこそ光だ、

と取らえ、「いのち」のことをこの子らから受け取め、考えよう。共に生きる

対等の立ち位置に立とう、という眼差しだ。

 

「この子ら世の光に」という視点の転換が提唱されてからおよそ半世紀、

日本の社会はどう変わったのか?どう変わっていないのか?

「寄り合う」という言葉、「この子ら世の光に」という言葉に対応する私の

言葉を強いて探すと、「映画は窓ではなく鏡である」いうことかしれない。

 

映画は「窓」ではなく観ている人一人ひとりを写しこむ「鏡」だ。映画を観ながら、人はいつも自分自身と向き合うことになる。他人事ではなく、自分のこととして映画を体験することになるのだ。

他人事を何度繰り返しても体験にはならない。自分事としての出合いを繰り返すことこそが、本当の体験に繋るはずだ。

 

「寄り合う」という言葉も他人事ではない対等な関係の在りようを、言っているように思う。

「この子らを世の光に」も、上から目線ではない対等な関係の在りようを表現した言葉だ。

そして「映画は窓ではなく鏡だ」という考えは、映画を観ることは自分自身を見つめることに他ならない、ということだ。

『えんとこの歌』の上映を積み重ねながら、私たちが寄って立つ言葉、考えについて思いを巡らしている。

 

映画を創り、映画を観てもらうこと…

迷いこむようにたどり着いた「映画」というナリワイは、ボンヤリ者の私を導いてくれている気がする。

映画『えんとこの歌』の中で、歩くことがかなわなくなった遠藤が、故郷の海で自分の足で歩いたように、私も自分の足で歩いているだろうか…

 

「いのち」のこと「生きる」ことの問いを、映画を創り観てもらい続けることで自分なりに深めて行きたい…。

遠藤が、寝たきりのベッドの上で考え続けることをやめないように、私も「映画」と共に考え続けることを生きよう。

 

 「応援団」 2019.10

 

もう25年程前、私が仲間達と自主製作で創った長編処女作の映画『奈緒ちゃん』(1995年)の上映を拡めようと学生時代の友人達が中心になって「奈緒ちゃん応援団」というのを立ち上げてくれたのが、我が作品の上映活動のキッカケだった。

「奈緒ちゃん応援団」はジワジワと増殖し、全国津々浦々で、映画『奈緒ちゃん』の自主上映を展開する原動力に成ったと思う。

「奈緒ちゃん新聞」という機関紙まで発行し、その後のいせ映画のプロモーション活動の原型は、この時に出来たものだ。

 

最新作『えんとこの歌〜寝たきり歌人・遠藤滋〜』(2019年)の主人公、学生時代の友人の遠藤も、実はこの時「奈緒ちゃん応援団」の呼びかけに応じて、東京・世田谷で、介助者の若者達と共に私の映画を自主上映してくれた一人なのだ。

その上映がきっかけで、私は、遠藤と若者達の日々にカメラを向けることになり『えんとこ』(1999年)という映画を完成させた。

 

そして、2019年秋、再び応援団が立ち上がった。

今度は「いせフィルム応援団」。神奈川で私が呼びかけている連続上映に呼応して、我が映画の上映を応援しようと誕生した。

キッカケになった映画は、一昨年完成した『やさしくなあに〜奈緒ちゃんと家族の35年〜』と今年完成した『えんとこの歌』。

『奈緒ちゃん』と『えんとこ』の続編の上映を拡めたいという思いを抱く人が集まった「応援団」だ。

 

25年程前も今も、「応援団」結成の背景にあるのは、映画への共感と、かんとく伊勢真一、いせフィルムの頼りなさへの苛立ちかもしれない、トホホ…。

ほおっておけない…と思ってくれているのだ。

応援団のエールに応え、メッセージを書いた。

<応援団のみなさんへ>

いつの間にか「いせフィルム応援団」という、何とも頼もしいささやかな応援団が出来て、恥ずかしいやら嬉しいやらです。見かけによらず小心者のヘボカントクとしてはもう逃げるわけには行かない状況にとまどいつつ行けるとこところまで行く覚悟であります。                     

「奈緒ちゃん」や「遠藤」が象徴する存在、一人ひとりでは生きることさえ難しい「弱い」存在こそが大きな力を秘めている、という真理に心動かされている応援団の皆さんのパワーは絶大です。

「弱さの力」とでも言うのでしょうか…。

来年一年間を目標に、毎月神奈川のどこかで『やさしくなあに』『えんとこの歌』等の上映を実現して行くようなムーブメントを起こせれば、と考えています。

このささやかな動きが、日本中、世界中に拡まる予感がします。

だって「弱さの力」は周りの人達を巻きこむ大きな力になる可能性を秘めている、本当の「力」だから…。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

神奈川は、35年間通い続けて撮影した『奈緒ちゃん』の舞台であり、『やさしくなあに』『えんとこの歌』製作の動機になった、「相模原市障がい者大量殺傷事件」が起きた舞台でもあります。

その舞台で、粘り強く上映活動に取り組むことから、きっと全国に上映の輪を拡げていきたい…

そして、神奈川に続き各地で「応援団」が立ち上がったら嬉しい。一人「応援団」も大歓迎!名乗りを上げてくれるのを、心待ちにしてます。

 

「だって君は、ひとりで勝手に何かをやって行くことなんか出来ないだろう」(遠藤滋)

 

全国の「応援団」諸君!お力ぞえよろしく!!

 

 

「優しくなりたい」 2019.9

 

「優しくなりたいと心から思いました。

        ぜひもう一度、観たいです。」

 

映画『えんとこの歌〜寝たきり歌人・遠藤滋〜』の劇場上映が始まっておよそ三ヶ月、観た一人ひとりの反応はスコブルいいのですが、イマイチ客足が伸びない…

昔に比べると打たれ強くなったヘボカントクですが、連日映画館から届く、入場者数のデータを見ているうちにどんどん気持ちが落ち込んで行くような日々、

ある上映会場でのアンケート(感想)の一言に、強く励まされました。

 

「優しくなりたい…」

そうだよな、と決して優しくない自分は思います。

「えんとこ」の介助者諸君のようには成れないし、

まして遠藤のようにはとても成れない。

 

「ひとりひとり 違ふいのちを生きてこそ

       総体として 人類は成る 」

と遠藤は歌っている。

人は「私」であるよりも前に一つの「いのち」です。その「いのち」は元々平等ではありません。だからこそお互いにその人権を尊重し合い、守り合う必要があるのです…と歌の心を解説しています。

「私」であるよりも前に一つの「いのち」である、と言う事実に気づくこと。

そしてお互いの「いのち」を生かし合うこと。

 

映画「えんとこの歌」は「いのち」を描いた映画。

優しさに触れる映画。

創り手が、優しくない奴だからこそ気づくのかもしれない、「優しさ」であり「いのち」がくっきりと写りこんでいる映画なのだ…

 

どこの誰だか知らない人が、「優しくなりたいと心から思いました」と書いてくれた一言が、映画の核心を言い当ててくれたように思う。

 

ある映画館からは、「いせさんの映画は数字が読めないからなあ…」と上映を断られた。

けれども、上映してくれた映画館の方々は「お客さん、あまり呼べなくて申し訳ありません」と詫びると、

「こちらこそ、申し訳ありませんでした。

これからも、いせさんの映画は、必ず上映しますから、よろしくお願いします。」

とみんな言ってくれた。

長い付き合いの、伊勢進富座の館主水野くんには、

「私は、『えんとこの歌』断然好きです。ゴッホだって生前一枚しか絵が売れなかったんだから…って、

いせさんいつも言ってるじゃない。

大丈夫!そのうちわかってもらえますヨ」

と、逆に励まされてしまった。

 

まわりのスタッフからは、「客足が伸びない」なんて言わないほうがいい、と言われているけど、

私は堂々と言った方がいいと思う。

ゴマかしたってしょうがないじゃない。

多くの商業映画や、マスメディアにありがちな、

上っ面だけ飾るなんて、マッピラだ。

 

こんなにいい映画を、なんで観に来ないんだ!

とカントクの自分が言わなくて誰が言うんだ。

 

この秋から自主上映にも取り組みます。

「優しくなりたいと心から思いました。

        ぜひもう一度観たいです。」

と、言われる映画を、何とか一人でも多くの人に観てもらいたいのです。

どうか、自主上映よろしくお願いします。

 

「きっと目が覚める」 2019.8

 

新作『えんとこの歌』の劇場公開がはじまっておよそひと月・・・連日各地の劇場へ顔を出し、トークをしたりチラシ配りをしたりの日々でした。

集客が思うようにいかない日もあり、その度に「一喜一憂」するヘボカントク、まだまだ人生の修行が足りないのです。興行の世界では、どんなに入りがよくなくても「満員御礼」を言いつのるのが常識らしい・・・

いつまでたっても映画界の常識に溶けこめないアマチュアなのだ、困ったもんだ。

 

上映が終わると扉の外でお客さんを待ち受けチラシを数枚ずつ手渡しする・・・劇映画の大監督はそんなことしないでしょうが、自主製作でドキュメンタリーを作っている私などは、先頭に立って集客の旗を振らなきゃ、何ともならないのだ。

でも、観終った直後のお客さんの反応を受け止めるにはこのチラシ手渡しは格好の機会・・・扉から出て来たお客さんの表情を見れば映画の満足度は一目瞭然。

で、我が『えんとこの歌』の反応は・・・

 

凄い!

手前ミソに思うかもしれないが、チラシをもっと欲しいと奪うように取って行く人や、「よかったです。ありがとう」とお礼を言う人や、立ち止って黙ってしまう人や、「カンパです!」と有無を言わさずお札を握らせる人や・・・

これはきっと、いい映画なのに違いない、と思わないわけにはいかないような反応なのだ。

観終った多くの人の眼が、主人公遠藤滋の目ヂカラが乗り移ったような目に成っている・・・

朝一番のモーニングショーで、眠い眼をこすって観に来たらスッキリ眼が覚めた感じ。それ以上に、人生に眼が覚めたと言う感じかもしれない。

何故か、多くの人が元気になって映画館を出て行く。残された感想は、いつもに増して充実している、

「映画は観客と出逢い、はじめて映画になって行く」ことを再確認させてもらっている気がします。

 

感想の内容は、「えんとこ」や「遠藤」への共感のメッセージも多いが、それが他人事ではなく自分事として書かれているのが特徴かもしれない・・・障がい者の介護ということにとどまらず、生きること、人とかかわりながら生きることに思いを深める、自分を見つめ直した、という感想が多いのだ。

 

観る前は、寝たきりの障がい者の映画だし、相模原の障がい者大量殺傷事件のことにも触れてるようだから重くて暗いんだろうなあぁ・・・と思っていたけど、全然違ってた。映画として面白いし、美しい。

もちろん、観終って持ち帰る宿題には深いものがあるけど・・・ということかな?

何度も何度も観に来る人が多いのも『えんとこの歌』の特徴かもしれません。

 

ドキュメンタリー映画が若い人に敬遠されるのは、「重くて」「暗くて」「つまらない」からだ、と言われたことがあるけど『えんとこの歌』は、その全てをクリアーしてるから絶対に若い人にも観てもらえると思う。

食わず嫌い・・・・・止めてぜひ観に来て欲しい

 

しばらくは、各地のミニシアターでの上映が続くが、秋になったら各地で自主上映にも取り組もうと思っています。

ぜひ手を上げて、自主上映をしてほしい。

ぜひ上映会場に足を運んで欲しい。

『えんとこの歌』の「えん観た人から次の人とって行く。

「歌」は日本中、世界中に響き渡ると思っています。

きっと、きっとね。

きっと眼が覚めるから・・・

 

「いのち」のイトオシサ 2019.7.1

 

新作『えんとこの歌〜寝たきり歌人・遠藤滋〜』が、ようやく一般公開されます。

76()〜東京•新宿K’sシネマ T03(3352)2471

713()〜名古屋•名演小劇場   T052(931)1701

719()〜広島•八丁座 T082(546)1158

720()〜横浜•ジャック&ベティー T045(243)9800

727()〜大阪•シアターセブン  T06(4862)7733

817()〜京都シネマ T075(353)4723

      〜静岡•シネギャラリー T054(250)0283

824()〜三重•伊勢進富座 T0596(28)2875

と、全国各地で一気に上映が始まります。

 

7月に集中して映画が公開されるのには、理由があります。3年前の726日、神奈川県相模原市で起きた陰惨な出来事、寝たきりの障がい者が大量に殺傷された事件のことを忘れてはいけない、考え続けよう、、、という思いがあるからです。

726日前後に「相模原での出来事を忘れないために」と、連続上映会も企画しました。

726()渋谷・LOFT9 SHIBUYA    T03(5784)1239

727()相模原・相模女子大学マーガレットホール T090(1557)3838

728()相模原・橋下ソレイユさがみ T080(5494)3439

729()世田谷・梅ヶ丘パークホール T080(3483)3811

 

このように紹介すると、映画『えんとこの歌』はいせ作品には珍しく、社会派色の強いドキュメンタリーと思われるかもしれません。しかし、映画自体は、もう35年間もベッドの上で寝たきりの障がい者、学生時代の友人遠藤滋と介助の若者達が「いのちを生かし合う」日々を、肯定感たっぷりに淡々と描いた、足かけ25年に及ぶドキュメンタリーです。

あえて言えば、「いのち」のイトオシサを描いた物語。

 

前作の『やさしくなあに〜奈緒ちゃんと家族の35年〜』同様に、映画を観終った方々の「読後感」は爽やかなようです・・・お客さんは、みんなけっこういい顔して劇場から出て来ます。

「考えさせられました」「重いですね」「深いです」と、表情とはウラハラに言葉少なに呟く方が多いようです。

爽やかだけど、考えさせられ、重く、深い・・・

これはもしかしたら、マレに見る傑作なのかも。

何事も、ただ軽く明るいものが好まれる今の時代に、この映画が多くの人の支持を受けるかどうかは、正直ワカラナイ。たくさんの人に見てもらいたい、とは思いますが。

 

いつの頃からか、私たちの社会は、次々に情報が消費され、忘れてはならないこと、大切なことが置き去りにされているような気がしてなりません。

相模原障がい者大量殺傷事件は、犯人が捕まってことが済んだとは思いません。事件を起こした犯人を生み育てた、私達の社会の在り方を一人ひとりが考えること、考え続けることがなされているとは思えないからです。

 

「共生社会」と口で言いながら、私達の社会は「共に生きる」ことを、本当に実現していようとしているのでしょうか・・・

 

私達の社会を、「共に生きる」方向に押し戻さなければ。

 

映画『えんとこの歌』は、小さなアパートの一室で「いのち」と真っ直ぐに向き合う遠藤滋と介助の若者達の「共に生きる」日々を追いながら、爽やかだけど、深く、重い、メッセージを伝えています。

ぜひ観てほしい映画です。

 

 

「ねばってねばって・・・」2019.6.30

 

気がついたら、二ヶ月ほど「つぶやき」をサボってました・・・もうすぐ夏だ。

愛読()してる数少ない方の一人から、体調でも崩されたか心配した、と連絡があり、慌てて「つぶやき」ます。

 

「激しくもわが拠り所探りきて

 障害持つ身にいのちにありがたう」

脳性マヒで35年間も寝たきりの学生時代の友人遠藤滋と介助者たちの日々を、彼の短歌で綴ったドキュメンタリー『えんとこの歌〜寝たきり歌人・遠藤滋〜』が完成、上映準備の活動に取り組んでました。

 

「プレス・関係者試写」を繰り返し、「パンフレット」を創り、各地の「ミニシアター上映」のブッキングをして、「自主上映」に取り組んでもらうためにダイレクトメールを発送し、やることは山ほどあり、そのほとんどを自分達の手でやらねばならないので、その先頭に立って突っ走ってました。

大手の映画監督のようにはいかない。自主制作、自主上映で映画創りに取り組んでいるカントクは皆、そんな感じで映画完成後の日々を過ごしているのだ。

 

25年程前、映画『奈緒ちゃん』を完成させて以来の、映画を作り、観てもらう独自の自主製作、自主上映で何が大変って、上映活動が一番シンドイかもしれない。映画を創ることはとにかく好きだし、スタッフもいるからどんなに大変なことでも乗り越える自信のようなものがあるけど、上映活動はけっこう孤独なナリワイで、それが直接お金に継がり喰っていけるかどうかが決まることも含めて、ちょっと辛いことの方が多い。

 

「伊勢さんは上映にも積極的に取り組んでて凄いエネルギーですね・・・」なんて言われることもあるけど、投げ出したくなることだって、今だにあるんだ。

でも、上映を支えてくれている、いせフィルムのスタッフや、ダイレクトメールの折り込み発送を手伝ってくれるいせフィルム応援団、上映してくれる各地の劇場の諸氏、そして我が作品の完成を待ちのぞむようにして自主上映に取り組んでくれる方々・・・

みんなの顔をいつも想い浮かべては「何のコレシキ‼」とハネ返して来た日々だった、もちろん今回も。

 

春先から10回近く行ったプレス・関係者試写の反応は、いつもに増してスコブルいい・・・手応えを強く感じています。

しかし何故か、プレス(メディア)の方々の動きがイマイチです。映画を知ってもらうためには、宣伝費がゼロに等しい私のような自主製作の作品は新聞や放送で取材してもらうしか手はありません。

そして、もちろん口コミが最強の宣伝ですが。

 

メディアを賑わす他の映画の紹介を横目で睨んで・・・

「自らを他人と比ぶることなかれ

 同じいのちは他にひとつなし」

と歌う、我等が寝たきり歌人・遠藤滋の名作短歌を噛みしめます。

そうだ、他の映画と比べる事なんかない。自分は自分で精一杯気持ちをこめて創った映画を、精一杯気持ちをこめて観てもらうだけだ。それでいい。

 

「ねばってねばって・・・

 ねばるだけしか手が無かったんだ」

と映画のラスト近くで遠藤がつぶやくシーンを思い、自分が創った映画に自分自身が励まされているこの頃です。

 

7月から全国各地の劇場で上映がはじまります。

自主上映にも気合いを入れて取り組むつもりだ・・・よろしくお願いします。

 

 

「ゆっくりと、ていねいに」2019.3.31

 

1月から3月まで、自作「やさしくなあに」が海外各地の映画祭に「Home, Sweet Home」とタイトルを代えて招かれ、転戦して来た。

フィンランド、アメリカ(ミズーリ州)、ルーマニア、ロンドン・・・どこもドキュメンタリーの小さな映画祭で、とても雰囲気のいい、あったかい映画のお祭りだった。

35年間、ねばりにねばって作品創りに取り組んで来たことを観ていた映画の神様が、「まあ、出来はともかく御褒美をあげよう・・・」と、微笑みかけてくれたのに違いない。

 

フィンランドでは大好きな監督 アキ・カウリスマキがヘルシンキの街中に持っているミニシアターで、上映してもらった。

私がファンだということを知って、映画祭のスタッフが特別にはからってくれたみたいだ。観に来てくれたお客さんもカウリスマキのファンが多かったかもしれない。小津安二郎ファンで日本贔屓のカウリスマキ同様、日本の家族を描いた「Home, Sweet Home」に、あったかい眼を注いでくれた。

とても嬉しかった。嬉しくて舞い上がってしまった私は、財布を映画館に忘れてしまった・・・

日本に帰って数日後、その財布が送られてきた。

奇跡的なことだ。奇跡を起こしたのは、カウリスマキその人に違いない、と私は密かに思っている。

 

2月に行ったアメリカミズーリ州の「ウソとホントの映画祭」は、コロンビアという中西部の小さな街での映画祭だった。

台湾で「Home, Sweet Home」を観たプログラムディレクターが気に入ってくれて招待が決まったようで、日本映画が招かれたのは初めてだったらしい。

まさしく街ぐるみの映画祭で、零下15度の雪の中を行列をつくって映画を観に来る人のほとんどは街の人達だった。我が映画は、3回の上映とも300人近い人々が観に来てくれて大好評だった。映画が終わってからのトークにも、ほとんどの人が一時間近くのQAに付き合ってくれた。もしかしたら、日本での反応よりいいかもしれない、と思うほど映画への共感は強かったなぁ・・・

 

3月のルーマニアでの「ワンワールド映画祭」でも「Home, Sweet Home」の反響は好調だった。

35年間の記録、というのが強いインパクトを持つと考え、私がこの映画を撮り始めた頃はルーマニアは社会主義国だったこと、社会の変化以上に家族の歴史、もっと言えば、一人ひとりの個人史を、ドキュメンタリーが記録することの意味のようなことを、通訳の方を通じて語りかけた・・・上映トークが終わったのは、もう夜中の12時を過ぎていたと思う。

充実したヒトトキだった。

 

海外の映画祭を終えて帰国したらすぐに、仲間達と十数年前からやっている、横浜・大倉山での映画祭。

ここでは、出来上がったばかりの新作「えんとこの歌〜寝たきり歌人 遠藤滋〜」を上映した。海外と違い言葉が通じるから、トークは快調に出来るかと思ったけど、とんでもなかった。

「えんとこの歌」のサブカメラマン宮田八郎のことをしきりに思い(「えんとこの歌」の星のカットを伊豆の海で撮影した翌日、近くの海でのカヌーの合宿で遭難してしまった。)話の最中に絶句、涙が止まらなくなってしまったのだ。もうすぐ一年になる・・・まだまだナマ傷なんだ。

 

地道に仕事をしよう。上映活動に取り組もう。

仲間達と「いのちがけ」で創った映画を、

ゆっくりと、ていねいに、観てもらうのだ・・・

応援してほしい。

  

「一人ひとり」2019.2.28

 

自主製作でドキュメンタリー映画を創り続け、自主上映を中心に上映活動を続けて来た。

そして「一人でも多くの方々に観てもらいたい・・・」と言いつのり、「一人ひとりにそれぞれの思いで受け止めてほしい・・・」と、いつも語って来た。

 

ここのところ『やさしくなあに〜奈緒ちゃんと家族の35年〜』が、海外の映画祭で好評だ。一月末にはフィンランド・ヘルシンキでの映画祭で上映され、ここでも大好評だった。(海外版タイトルは『Home Sweet Home』)昨年からの海外上映での反応はどこでも、日本国内よりも断然いい・・・

どうしてだろう?と考え続けている。

しかし、何はともあれ、

言語も文化も違う方々の共感は、とても嬉しかった。

 

私は「一人ひとり」違う人生を生きる方々に映画を届けたい、と言いながら、「一人ひとり」に向けて、こちら側から積極的に自作を観てもらう努力をして来ただろうか・・・

小さな穴の中で、ワカッテくれる人にだけ映画を観てもらうような傾向があったかもしれない、と今更ながら思い返している。

 

昨年の暮れから、視覚・聴覚の障がいがある方々向けの、自作のバリアフリー上映版に取り組みはじめた。前から、やらなければと思っていながら、主にコストの面で躊躇していて出来なかったのだが、(貧乏プロダクションだからね)思い切ってやってみることにした。

バリアフリー上映版を創るためには、視覚・聴覚それぞれにプロの創り手がいて、その方々が視覚・聴覚障がいの当事者の意見を聞きながら、私が創った映画を翻訳していく作業をしてくれる。

どうしたら元の映画の世界をそのままに、視覚・聴覚障がいの方々に伝えることができるか・・・という  なかなか骨の折れる仕事だ。

 

視覚障がいの方も聴覚障がいの方も、映画が好きな人が多いにもかかわらず、これまでは映画を楽しむことが難しかった。観てもらうための工夫をすれば出来るのだから「映画」の側がそれぞれの観客のハンデを理解し、歩み寄る努力をするべし・・・ということだ。

 

今、手がけているのは『やさしくなあに』のバリアフリー版で、もうすぐ出来あがるのだが、障がいのある「一人ひとり」に自作を観てもらうことが可能になるのが、素直に嬉しい。「一人ひとり」に観てもらうという具体的な展開のひとつに違いない。どんな反応があるだろう?

(近々に新作『えんとこの歌』のバリアフリー版にも取り組むので、上映に関心のある方はぜひ問合せてみてほしい)

 

ドキュメンタリー映画の客層が、どうしても高齢者に片寄ってしまうことを何とかしたいと、ずっと思っている。

懸案の若い人達に観てもらうためのアプローチも、もっと積極的にやらなければ・・・観てくれた若者達の多くは、とても共感してくれているのだから。

これも「一人ひとり」に観てもらうという具体的な展開のひとつに違いない。

 

「一人ひとり」に観てもらう、という中身をしっかり埋めて行くような上映活動に前ノメリになって取り組もうと思う。

アトサキ考えずに、ただただ無我夢中で映画を創り続けて来たけど、その一作一作を丁寧に「一人ひとり」に手渡して行くことが、これからの自分の課題のように思うから・・・

映画を通じて、「一人ひとり」に出逢うために。

 

「音楽」と「映画」2019.1.31

 

伊勢さんの映画はどれも「音楽」がいいですね・・・と時々褒められる。

映画は総合芸術だから、「音楽」とか「映像」とかを部分的にいいと言われるのは、それこそあんまり褒められたもんでは無いけど、悪い気はしない。

映画を観終って出て来る時に、思わずテーマ曲を口ずさんでしまうような映画を創りたい、とも思っているからね。

 

こんな風に書くと硬派のドキュメンタリー愛好者から、「本来ドキュメンタリーに音楽は不用だ!」と怒られるかもしれないけど、軟派なドキュメンタリストとしては、音楽や美しい映像にうっとりするのは、映画を創り観ることの、この上無い悦びだからなあ、と言いたくなる。

逆に、テーマだけは立派で、雑なカットや、雑な編集や、雑な音処理の、ドキュメンタリーを観せられると、無性に腹が立つ。「ちゃんと創れよ、ちゃんと‼」と、言いたくなる。映画が好きなんだったら、映画にもっとやさしくしなきゃね。

そおいう映画を創り、評価する輩に限って、「ドキュメンタリーとは・・・」という理屈を言いたがる傾向があるからなあ。

映画に限らずどんな仕事だって、愛情を持って丁寧にというのが基本だと思うけど。

 

我が父、伊勢長之助は、一般の人にほとんど観られることの無いPR映画を創り続けて、60才で死んだ。

記録映画の編集者として手がけた仕事の数は、戦後の映画界の中ではピカ一だったのでは、ないだろうか?よく働き、よく映画を創り続けた職人映画人だった。父は、「編集の神様」と呼ばれることもあったくらい、その腕は定評があったらしい・・・

私は「編集の神様」である父から仕事を教わったわけではなく、見よう見真似で仕事を覚えたので、いつまでたっても映画創りの腕は上がらない、なかなか上手くならない、困ったもんだ。今も、上手くなりたい、と思い続けているけどね。

 

まるで映画の仕事をやるつもりが無かった若い頃の私に、父が呟いた言葉を、今頃になってふと思い出す。「映画は総合芸術だからいいんだ・・・」

「映画は音楽に似ているんだ・・・」

「何やってもいいけど手に職をつけろよ・・・」

いつの間にか、映画の仕事に手を染めるようになり、私も親父と同じようなことを思うようになっていた。不思議なもんだ。

 

映画の「音楽」を褒められるというのは、映画全体の、リズム、メロディー、トーン、が受け止められているということかもしれない。映画と向き合いながら対話している一人ひとりのお客さんと、映画との呼吸が合っている、息が合っている、ということのような気がする。頭で映画を創り、観るのではなく、カラダで映画を受け止め語り合っている、という感じか・・・

 

「気が合う」と言うよりも「息が合う」

親父もそんな思いを抱きながら映画を創り続けたのに違いない。

「息が合う」一人ひとりとの出逢いが、親父に映画を創らせたのだ・・・

観られることの少ない映画を丁寧に創り続けた、親父や先輩達の道を、歩みたいと思う。

宮沢賢治が詩ったように「褒められもせず苦にもされずみんなにデクノ坊と呼ばれても」きっと「息が合う」一人ひとりと出逢うことができるに違いないから。

 

私も、自分なりの映画を創り続けて、「息が合う」一人ひとりと出逢い、生きて行こう。

まだまだ創り続けるのだ。